1754151 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

藤の屋文具店

藤の屋文具店

VO(犬が死んだ日)

VO
3年前に他界した我が家の犬、雑種のVOです。3年前の9月10日に書いたものを、ここに収録しときます。

           【犬が死んだ日】


 犬が死んだ。13年前に深見町の家を買ったとき、取引先のおば
さんが勝手に置いていった犬である。中学2年になる次男と一緒に
育って、駅前の家にふたたび引っ越してからは、ビルの屋上で飼っ
ていた。雑種で白い毛の、そこらへんのあぜ道をとっとっとっと歩
いているタイプの、なんの感動もないつまらない犬だ。

 今朝、なんかぐったりしていると母親が言っていた。いっしょに
生まれた兄弟犬は、何年か前に全部死んでいるので、もう寿命なの
だろう。10日の集金日なので、ほうっておいて仕事に出た。昼頃
に携帯に電話が入った。もう、動かないから見てくれという。仕事
を中断して戻り、屋上に上がると、ごろりと寝転んだまま力なく見
上げる。どこが悪いというのでもなく、ただ弱っている。耳の後ろ
をごりごりと掻いてやると、かゆいところを促すように頭を少し動
かし、後ろ足で掻く動作をした。何をしてやれるでもないので、そ
のまま掻きつづける。白い毛がふわふわと風に吹かれ、屋上の隅に
吹き寄せられて舞っていた。もう暑くはない日差しの中で、おとな
しく差し出した頭を掻いていた。

 3階へ下りると妻がしんみりと食事をしていた。もう、老衰だよ、
そっとしておくしかないよ。こどもたちが帰ってきたら、そばでお
別れをさせてやってくれと言い残して、仕事に出た。

 4時過ぎに仕事が終わった。そのまま深見町へ行き、庭の草むし
りをした。夏の間に伸びたつたを引っ張り、鎌でさくっと刈る。一
輪車に10杯くらい刈ったら、日が暮れてきた。汗でぐっしょりし
た身体を絞ったタオルで拭き、下着とジーンズを換える。帰り支度
を整えて玄関に出た。はじめて子犬がやってきたとき、この玄関脇
の段ボールの箱にいたんだな。ほとんど押し付けられるようにやっ
てきた雑種の子犬。こどもたちも、特に可愛がるでもなく一緒に暮
らした。愛飲していた一番安いブランデーの名を借りて、VOと名
づけた。

 VOは、すぐに大きくなって、つまらない犬になった。次男も大
きくなり、やがて三男が生まれた。VOはやたらと嬉しがって吠え
るので、三男は嫌がってあまり近づかなかった。
 駅前のビルに戻ってからは、子供たちが散歩に連れていった。保
育園に通っていた長男は、もう高校生だ。屋上でガーデニングをや
っていて、誰もかまわないのが哀れだからと、ときどき散歩に連れ
ていった。次男は、こづかいをせびる口実に、連れ出していた。
 洗濯物を干しに行くと、嬉しそうに邪魔をした。エレベーターの
点検員にも、喜んでとびついた。カラスに吠えた。焼きいも屋にも
吠えた。ネコとはわりと仲良くしていた。

 ほんとは、犬なんて飼いたくなかった。一緒に遊んでほしそうに
されたくなかった。押し付けられて、嫌だった。自由に生きていけ
る場所があるなら、そこへ放してやりたかった。鎖でつなぎたくな
んかなかった。仲間たちと暮らさせてやりたかった。そんな僕の気
持ちなんてわかるはずのない犬に、嬉しそうにじゃれつかれるのが
嫌だった。犬なんて、飼いたくなかった。

 家に帰ると、VOは、もう死んでいた。長男は、明日いっしょに
焼きに行くと言った。三男は、VOが死んだのにカレーライスが晩
御飯なんていやだなぁと言った。妻は、カレーライスはご馳走だと
思っているからなのかと聞くと、うん、と言った。次男は、死んだ
死んだと言うなと怒った。だれも、泣かなかった。

 ほんとに、犬なんて、飼いたくはなかった。




© Rakuten Group, Inc.